【概要】
地理的に長崎湾の入口に位置する伊王島は、島の言い伝えによると、西暦391年頃、伝説にも多く登場する神功皇后(じんぐうこうごう)が、朝鮮の新羅(しらぎ)征伐のおりに軍船をととのえるため、この島の船津の港に寄港したそうです。その際に、この島を「美しい島」と賞し、祝詞(のりと)をたまわったという故事にちなんで、その後この島は「祝う島(いわうじま)」と呼ばれ、これがのちの伊王島(いおうじま)の起源となったとも言われています。また、仮名文字で「イヲウシマ」と書かれてある古地図があります。古くは魚(さかな)のことをこの地域では「いを」と言っていたことから、まわりを豊富な漁場に囲まれたこの島のことを「いをしま」と呼んでいたのではないか…、という説もあります。