長崎測候所の気象観測によると1945年(昭和20年)8月9日の長崎の天気は、朝から青空が広がる暑い夏の日だったと記録されています。
その日から71年が経った今日も、原爆の脅威を表す平和祈念像の右手の先には、青い空が広がっていました。
松山町平和公園の平和祈念像前において行われた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場へと続く道の両脇には、平和を願う折り鶴が多く寄せられました。
恒久平和を世界の人々に訴えるため建立された「長崎の鐘」の前にも多く千羽鶴を供えられ美しい花々が供えられていました。
長崎の街は、平和を願う祈りに包まれました。