① 馬込教会(聖ミカエル天主堂)
漁港を見下ろす丘に、大浦天主堂に似た容姿豊かな景観をもつ鉄筋コンクリート造りのゴチック様式の教会があります。
昭和6年(1931)、時の松岡孫四郎神父が全世界に呼びかけ、多くの人々の好意により完成したもので、大工棟梁は伊王島船津の大和和吉氏です。馬込に初代天主堂が建てられたのは、明治23年(1890)マルマン神父の時で、字向いの現在地に木造白亜(シックイ)のゴチック様式の天主堂でした。
同神父の設計で、大工棟梁は、既に伊王島灯台退息所や大明寺教会を建造した実績のある伊王島船津の大渡伊勢吉氏です。
この天主堂は昭和の初期、落雷や台風のため倒壊したので昭和6年現在の天主堂に建て替えられました。
① 大田エン女史の碑(幼児園前)
我が国で宗教の自由が許された翌年の明治7年(1874)、馬込で発生した赤痢は大明寺、神の島、外海へひろがり浦上にまで及んだといわれていまあす。教え方大田エンさんたちの献身的な活動により、やっと切りぬけましたが、伊王島は台風に襲われ、家という家は殆んど壊される大きな被害を受けました。赤痢の流行と大被害の中で、島民たちは助け合って辛抱強く生き抜きます。その後も大田エンさんたちは一生を貧困者の救済と子女の教育に尽力しました。その愛と奉仕の精神の顕彰は伊王島ボランティア活動の始まりと言えます。
① 沖之島遠見岳番所跡
寛永14年(1637)島原の乱後、外国船を見張るために遠見の制度は始ました。伊王島の遠見には鍋島藩が当たり、沖之島の最高峰(149m)遠見岳、伊王島の唐船岳と遠見高りの三ケ所で行われていました。
また、「南蛮船が来ると私たちは救われる」と、深堀役人の目をぬすんで遠見岳に見に登ったと親から聞いたと馬込の古老は語っていたそうです。