【伊王島の今昔】

【写真の見方】
画面中央の◯ボタンマウス左ボタンを押下した状態で、左右にドラッグすると左右の写真をスライドさせて見比べることができます。
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築港から日鉄鉱業所事務所を見る
【写真の解説】
画面左の写真は、1962年(昭和37年)の伊王島町築港付近の様子です。日鉄鉱業所の石炭移送用の建物や吊り階段、営業所事務所が建っています。
画面右の写真は、2016年(平成28年)の長崎市築港の様子です。日鉄鉱業所の事務所へと通じる吊り階段や石炭輸送用の設備は取り払われ、それらの名残りはすっかり植物に覆われています。

 

賑わいを見せる島の通り
【写真の解説】
画面左の写真は、1962年(昭和37年)の伊王島町仲町付近の様子です。当時の人口は、7,300人でした。町内の行事が催されると多くの人で賑わいました。
画面右の写真は、2016年(平成28年)の長崎市伊王島町の様子です。この年6月の人口は699人です。炭鉱が閉山すると多くの人が伊王島をあとにしました。現在の人口は、炭鉱の時代と比較すると十分の一以下になりました。自然豊かでリゾートの美しい島が抱える問題のひとつです。

 

馬込教会と漁業用の網干場
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の馬込教会付近の風景です。伊王島が炭鉱開発される以前の主な産業は、漁業でした。教会のすぐ下では、漁網を乾かすための竹のサオがずらりと並べられていました。
右の写真は、2016年(平成28年)の伊王島馬込教会付近の風景です。教会の周辺は区画整備され、民家が立ち並らんでいます。伊王島を訪れる観光客のために、馬込教会への登り口には案内板や自転車の駐輪場も設置され、かつての網干場の面影はみられません。今ではリゾートのイメージが先行する伊王島ですが、わずか50年前は、漁業が主要産業であったということを知る人は多くありません。

 

石炭が山のように積まれていた築港付近
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の伊王島築港前の貯炭場です。伊王島の石炭鉱山から掘り出された石炭は、一旦築港近辺の貯炭場に集められ、石炭輸送船が来るまで野積みで保管されていました。大型のブルドーザーが積み込みのための整理をしている様子が見られます。
右の写真は、2016年(平成28年)の貯炭場跡の写真です。かつて石炭が山積みされていた場所は、キレイに整地されています。左奥には観光客のためのリゾートホテルが建設され、当時の面影はまったくありません。

 

炭鉱労働者用のアパート群
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の通称:産業道路とその沿線に整然と建てられた炭鉱労働者用のアパートです。高度経済成長の産業基盤であった石炭産業がこの島の主な産業だったためでしょうか、行き交う人達の表情にも活気がありました。
右の写真は、2016年(平成28年)の伊王島郵便局付近の写真です。隣接する郵便局は、現在の地に移転する際、地中海イメージの明るい外観のデザインに建て替えられました。

 

石炭ボタの埋め立て地の今昔
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の伊王島中学校付近です。炭鉱から掘り出され、不要な土砂(ボタ)を埋め立てできた陸地です。広く荒涼とした埋立地には、ボタを運ぶダンプカーが、ひっきりなしに行き来していました。
右の写真は、2016年(平成28年)の伊王島中学校付近です。炭鉱時代の副産物で出来た埋立地の上には、総合リゾートホテルの「ルネッサンス伊王島(現:やすらぎ伊王島)」が建設されました。かつて、石炭の島であった伊王島は、観光客がゆったりと時間を楽しむ島へと変貌しました。

 

馬込教会下の炭鉱坑道建設用の丸太
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の馬込教会です。教会手前の埋立地は、坑道を落盤から防ぐための丸太を備蓄するための貯木場として使われていました。
右の写真は、2016年(平成28年)の馬込教会です。炭鉱時代に山積みになっていた大量の丸太はすっかり姿を消し、今では伊王島を訪れる観光客用の駐車場になっています。

 

馬込教会を取り囲む炭鉱積出し施設
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の馬込教会です。教会の背後には当時操業していた日鉄鉱業所伊王島炭鉱のベルトコンベアーや石炭積み出しのための建物が見えます。
右の写真は、2016年(平成28年)の馬込教会です。炭鉱が1972年(昭和47年)に閉山して既に40年以上が過ぎています。
かつての石炭の島は、休日をリラックスして楽しむリゾートの島に変貌しました。

 

見晴らしのよい伊王島灯台でスケッチ大会
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)当時の伊王島灯台です。小学校のスケッチ大会でしょうか。子供たちが思い思いに絵を書いている様子は微笑ましいです。画面右上には炭鉱に勤務する人たちのための住宅が建てられていました。
右の写真は、2016年(平成28年)の伊王島灯台から同じ方向を狙って写した写真です。既に炭鉱は閉山して炭鉱労働者用の住宅群は取り壊され、その場所はすっかり木々に覆われています。左中央に見える小島は、今では陸地と継れ、コスタ・デル・ソル海水浴場として遊歩道も整備されています。また、画面右に見える煙突のある建物は、伊王島大橋が架かる2011年(平成23年)まで稼働していたゴミ焼却場です。人の営みが変遷する中でも、変わらず美しい伊王島の海や島の木々達は、時間の流れを静かに見つめています。

 

沖之島トンネルを抜ければタイムワープ
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)沖之島トンネルから見た仲町の様子です。炭鉱で働く労働者のための木造住宅が整然と並んでいます。
右の写真は、2016年(平成28年)に同じ角度から沖之島トンネルを撮影した風景です。住宅は無くなり、現在は通信会社の設備があります。

 


 

沖之島と伊王島の間で潮干狩りを楽しむ人達
【写真の解説】
左の写真は、1955年(昭和30年)の伊王島と沖之島の間に架かる賑橋から長崎湾側に架かる栄橋を写した風景です。両島の間の狭い海峡は、水深が浅かったため、春の大潮の時期には、島民がこぞって潮干狩りをしていました。当時、2つ島には七千人を超える人が住んでいましたので、旬の貝を目当てに来る多くの人達で、浅瀬は人でいっぱいになったと伝えられています。波穏やかになる春は、炭鉱の島で暮らす人達にとって、水ぬるむ頃であり、海の恵みを楽しめる季節でした。
右の写真は、2016年(平成28年)に同じアングルから写した風景です。護岸工事が進み、船の往来のために水深を深くする工事も行われ、島で暮らす人達の安全を守ることはできるようになりましたが、季節の風物詩がなくなったことは残念です。

 

馬込幼児園から帰る子供たち
【写真の解説】
左の写真は、1962年(昭和37年)伊王島の馬込地区にあった幼児園から帰宅する子供たちを撮した写真です。当時の人口は7千人を超えていました。高度経済成長期の真っ只中で、小さな子供たちが島の中で元気に遊び回っていました。
右の写真は、2017年(平成29年)にほぼ同じアングルから写した風景です。現在の人口は、十分の一まで減少しています。日鉄鉱業所の事務所も解体され、緑静かな佇まいになっています。

 

【伊王島開発総合センター】
伊王島開発総合センターの2Fにある資料室の貴重な写真をインターネットでも閲覧できるようにしました。
下に表示されている地図上の伊王島開発総合センターを「クリック」→「拡大地図を表示」すると写真を閲覧できる画面になります。