1975年(昭和50年)俊寛僧都の墓碑の北西の藪の中から古墓2基が発見されました。 その墓石には、長福寺建立に大変尽力したと伝えられ敬慕されていた等雄と盲僧の名が刻されていました。 等雄は1736年(宝暦13年)、盲僧は1769年(明和6年)没と刻されています。 Tweet